無題
2014.11.24(Mon)20:58
震災の年にたおれた父が 23日に息を引き取りました。
順天堂江東高齢から老健、特養をへて 最後は見取り病院
口からの水分・食事が取れず HIV措置
当人が望む望まざるにかかわらず・・・・・でしたが
出来うる限りのことをしたいという残された者たちの思い。
でも、見方をかえれば、ある意味えご?なのかもしれませんが
病院を訪れる度に 思っていました。
「こんなふうに、生きたいとは思っていなかったはずなのに。。。。」
見ているのが 辛かった・・・・
「それでも、生きているのだから 死なせるわけにはいかないだろう
医療費がいくらかかろうと、出来うる限りの事はする」と兄はいっておりました。
やっと楽になれたんですよね、、、お父さん
兄には 連絡がつかず、私一人で 見送りました。
大好きな父だったから
最後は 私一人でお別れがさせてもらえたんでしょう
寂しいけど・・・・

順天堂江東高齢から老健、特養をへて 最後は見取り病院
口からの水分・食事が取れず HIV措置
当人が望む望まざるにかかわらず・・・・・でしたが
出来うる限りのことをしたいという残された者たちの思い。
でも、見方をかえれば、ある意味えご?なのかもしれませんが
病院を訪れる度に 思っていました。
「こんなふうに、生きたいとは思っていなかったはずなのに。。。。」
見ているのが 辛かった・・・・
「それでも、生きているのだから 死なせるわけにはいかないだろう
医療費がいくらかかろうと、出来うる限りの事はする」と兄はいっておりました。
やっと楽になれたんですよね、、、お父さん
兄には 連絡がつかず、私一人で 見送りました。
大好きな父だったから
最後は 私一人でお別れがさせてもらえたんでしょう
寂しいけど・・・・
